交流武術研究会 周流

周流についての情報は、交流武術研究会 周流 サイト http://shuryu.info/の「周流とは」「教室案内」をご覧頂ければと思います。それでは。 管理人 おのえ
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謹賀新年

去年一年は本当にいろんなことが周流の中を駆けめぐっていった。

そして、その波紋は今も尚消えることなく続いているようにも思う。
しかし、そのことが海底で眠っていたものの目を覚ます。

目覚めたものは自分の在りかを確認する。
もっと目覚めよ、もっと目覚めよと、ざわめきが頭を覚醒し、透明にしていく。


                            くも


[周流では京都市の右京区太秦にて太極拳、中国武術、気功、推手、武器術として杖術や短棒、その他、柔術、格闘技、スパーリングなどの武術の練習を行っています。](太極拳)(サイトマップ)(武術・格闘技教室)(柔術・杖術教室)(サイトマップ)(格闘技・スパーリング)(サイトマップ)(周流ホームページ
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修行

 この一ヶ月、練習場や時間などが定まらないせいもあり、練習生の方々には少しの混乱を生じさせているのかもしれない。

先日新しい練習場(道場)でのことだったけど、その道場は練習前にものを片づけマットを敷き、準備しなくてはならない。
そのために練習時間前に数人が来て、すでに準備の段階に入っているのだけど、その日は誰もいなかった。

私はひとりで大きなじゅうたんを片づけるのに、果たしてうまくいくだろうかと思いながら、それは案外上手に片づけられた。

それからさらに柔術マットをロフトから降ろしてきて、ひとりで並べている内に、私の中で懐かしい精神の塊を感じた。

私は十代で武術道場の門を叩き、絞った雑巾で隅々まで拭き掃除をし、先輩達を迎え入れたあの頃を思いだした。

その当時はそれが当たり前だった。
当たり前のことをしながら、そのことに何の疑問も感じなかった。
それが武術の修練に繋がることなどと言うことすら本当には何も感じるはずもなかった。

私が主宰者になった時、私は日頃やらないようなとってつけたことは出来るだけ省く中で理解しやすい技術面を出来るだけ重視しながら、甘いとたまに指摘されても精神論に陥ることのない周流を育ててきた。

日常の中では人の心も研ぎ澄まされることは難しい。
そう考えた私は、

これではいかんといろんな面で締めていく途上で、今までの練習場を失い、さらに追い込んでいくことになった。

私は周流に規律を持ち込む必要を感じていた。

そして、準備の出来ていない道場の状態を見て、たぶん心の中は穏やかでなかったかもしれない。

しかし、その日はそれとはまったく違った。
私は修行させて貰っている自分に酔いしれる気持だった。
精神は引き締まり、自分の中で充実しきっていた。
もっとドラマチックに言えば涙が出そうなほどでもあった。

教えるという立場は常に絶対的でなければならない。
そうあることには変わりはないけれども、その時はその場所から一瞬離れて、私の心は修行者のように柔らなものだった。

作り上げていくものなど何もない。
私は日々ここで練習していく。
ただ私はそうあるだけ。

そんな思いが私の側を照らした。


くも

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変化した

9月大きな変化が周流に始まった。
10年以上続けていた道場から撤退しなければならない事態が生じたのだ。
それは周流にとっては一大事だった。

今になって言えることだが、周流の基盤、私の歴史をもぎ取られるほどの思いでもあった。
何度か私の苦手とする人たちとも面談した。
しかし、ことは元通りにはならなかった。
最後通達を受け取った時、私は自覚出来ないほどに身体の内部は複雑に沸騰していた。
初めて味わうほどの頭痛。

しかし、私はことが起こってから終始淡々とした表情を浮かべていた。
極めて冷静に取り組みながら、この事態が起こった本当の意味を探っていたのかもしれない。

正直に言うと、私には人には言えない、自分でも認めたくないほどの敗北感が存在していた。
それは最後通達を受け取った後に身体に生じた変化で理解出来た。
負けを感じたのだと思う。
負けるということがこんなにも私を破壊するものかと思ったほどだった。

私が武術でなにくそと思いながらも続けてきたのも、ひたすらに負けず嫌いだったからかもしれない。。
しかし、この敗北感を否定して私は次には進むことが出来なかった。

この事態が求めていたのは私の敗北感というちっぽけなものではなかった。
ことの流れが私に負けを選ばせた。
周流のためには私は負ける必要があった。

私は周流によって鍛えられてきたものである。
しかし、私は周流を正しく導く必要があった。

周流は私に負けを選ばせた。
そして、新たなる器を用意しようとしている。
そう、生まれるためには破壊しなければならない。
それは学生時代からの教訓だった。

私が得たもの

それは私自身になることだった。
私は何故周流に選ばれたのか?
それは私にしかできない何かを周流が必要としたからだ。

私が好きなもの私が嫌いなもの。

私は何をしたかったのか、私は何なのかをはっきりさせることだった。

この場にいたって周流は希有な会であるということを私は自負する。
それ故に説明することも、示すこともかなわない会であると自負する。
それはこの一件で証明されたと言ってもいいだろう。

それはこの社会にとっては十分に必要とされることを意味する。

何が希有なのか?

それはこれから理解されていくことだと信じる。

くも


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みち

人それぞれという言葉がある。

11月7日のブログに「気づき、反省、そして」という書き込みの中にもそのような思いを載せたことがあるのだけど、私の思いを他者に押しつけまいとしてそれまで生きてきたことへの反省でもあった。
それは周流の主宰としては実に頼りのないあり方だったのだろうという反省であった。

会を運営していると人の問題に常に直面する。
人それぞれ、人様ざまという言葉で、多くの人を受け入れることが出来る。

周流という会は受け皿が大きい会でもある。
何故受け皿が大きいのかというと、道を持っているからである。

道とは何かを言葉や形に表して指し示せるようなものではない。
故に様々なものの中にも内在する。
しかし、道を見出さない限りそれはどこにも存在し得ないものでもある。

人さまざまという言葉の中には人のことは関係ないという意味を持つ。

もし、道を得るならば人はみんな関係してくる。
何をしても、それぞれがそれぞれにあってもその繋がりはひとつのものである。

武術をする。
指導する。

そのさまざまな関係に直面する。
この人にはこのように指し示そう、この人にはこう述べよう、等々。
その先やその根本には同じものがあるにしても、それを知るには目に見える、形が聞こえるものにしなければ分からないことがある。

しかし、それでも実はそのこと自体が虚しく響く。
なぜならば、どんなに例えようがどんなに示そうが、道はその形から遠ざかるからだ。

私は何やら気づきの遅い人間である。
つい先日まで、私が武術をするのもそれは生きるための術だと思っていた。
ところが大きな発見が私にあった。

私は何々のために何々をするなどということは、とてもばかげた理由であると気がついた。

私はただそれをしていただけだったんだと気がついた。

身を守るために武術をする。
しかし、実際には武術をしなければ怪我もしかなったということの方が多いだろう。

なのに武術をする。
痛めた手や足でものを打つ。
そこには形の上での意味はどこにもない。

心や体がそれを休ませない。
もし私が歌を歌うなら喉が枯れ果てるまで歌い続けるだろう。
もし私が絵を描くならば、腕が折れるまで筆を持ち続けるだろう。

何をしても休むことなくそれをしてきたに過ぎない。

ものごとは超えなければ何をしても見いだせない。

なぜならば、道だから。

くも

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欲深いもの

何故若い時よりも今の方が欲深くなってきているのか分かる気がする。
それは人生をもう半分以上費やしてしまったから。

若い時には自分のこの世での時間というものはまったく気にすることはなかった。
ところが、この歳になるとそうはいかなくなる。
一年がとても早く過ぎていく。
そして振り返ると、十年もあっという間のことだった。

このままだと後20年30年と瞬く間に過ぎていくことだろう。
この世に生きてきて、それなりにいろんな自分を試してみたけれど、今までおろそかにしてきたもののひとつは自分の本能や心の底を知ることだった。

それはどんなに深い瞑想を経験したとしても、たどりつくところに行ったとは言えないものだった。
いや、もっとシンプルなものだとも思う。
自分の脳みそをかなぐり捨てれば、現れ出てくるものかもしれない。

気持のままなのだ。
どのようなことをしたいのか、どんなふうにしたいのか、どのような景色を見たいのか?
それをどのように実現していきたいのか?
私の夢は昔と違って、この身体とこころで見てみたと思うようになった。

くも


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