交流武術研究会 周流

周流についての情報は、交流武術研究会 周流 サイト http://shuryu.info/の「周流とは」「教室案内」をご覧頂ければと思います。それでは。 管理人 おのえ
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稽古

昨日は杖術の練習日だった。
久々に練習について書いてみようかなと思った。

今の杖術の練習では二つの型を繰り返している。
ひとつは杖の振り上げ振り下ろしである。
つまり打ち付ける、それをいなす練習である。
もうひとつは、突きとそれを払う練習である。

そして、そのどちらも黙々と繰り返される。
とにかく身体で覚えようというものである。

そう言った練習法は昔はあまりすることはなかった。
型練習はあくまでその瞬間の感覚を磨くことに重きを置かれていた。
しかし、感覚を磨く練習というのも分かりにくいものになる。
感覚を頭で捉えてしまうことがあるからだ。

感覚は身体で理解しなければならない。
頭は整理するためにある。

それ故、最近では感覚のことをとやかく言わなくなり、むしろ頭の働きを眠らせるほどに繰り返される。

さて、その結果はこれまた個人差を感じるものになった。
その理由もはっきりしている。
それは型は個人の身体の癖すら許さないほどに、型そのものを正確に成さないといけないのである。

また、周流では型練習のほか、杖を使っての自由な乱捕り稽古をしている。
でもこれは、基本的には型を十分に理解出来ているかどうかの練習でもある。
自由な乱捕りは実践練習とイコールではない。
むしろ型の応用編に過ぎない。
周流で行う型は基本しかない。
自由な乱捕りはその中から生まれ、それを身体が理解しているかどうかを試すための練習である。

少し余談になるけれど、秋葉原で最近起こった多人数殺傷事件は、犯人は武術の経験がほとんどないにもかかわらず、短時間のうちに多人数を殺すことが可能だった。
そして、取り押さえた警官の防刃ジャケット(防弾ジャケット?)には多くの傷が付いていた。
もし、防刃ジャケットがなければその警官も犠牲者になっていただろう。
警官を救ったのは武術ではなく、防刃ジャケットと拳銃と言うことになる。

通常どの道場でも同様だと思うが、武術を生き死にの実践の場に持って来るには無理がある。
実践を志すなら、実践をするための訓練が必要になる。

ただ、暴力を与える側ではなく、暴力を抑止する側の訓練は周流にとっても必要なことかもしれない。



[周流では京都市の右京区太秦にて太極拳、中国武術、気功、推手、武器術として杖術や短棒、その他、柔術、格闘技、スパーリングなどの武術の練習を行っています。](太極拳)(サイトマップ)(格闘技・スパーリング)(サイトマップ)(周流ホームページ



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海は海

昨日、ふと気まぐれに海に行った。
泳ぎに行ったわけでもない。
釣りに行ったわけでもない。
ただ気まぐれに海に行きたくなった。

道中周流のことが頭をよぎったりもした。
この会は本当に分かりにくい。
自分でそう納得した。

太極拳をするなら殴り合いなどしなくてもいい。
殴り合いをするなら、瞑想のような体操などしなくてもいい。
ましてや、以前はそれに舞踊のようなことまでしていた。

太極拳や武術を目的に見学しに来た人などからすれば、この舞踊のような世界は何だろうと戸惑ってしまう。
そんな風な会だった。

今は昔に比べると随分すっきりしている。
それぞれクラス分けする形で成り立っている。
舞踊のような世界もそこにはない。

でも、会員の多くの人は太極拳も武術も、瞑想体操も杖術もする。
また舞踊のようなことを求めている人もいる。
この会に触れるとやはりどれを取ってみても同じものとして捉えられるのかもしれない。
そして、それぞれの人がそれぞれなりに納得してやっている。

でもその人達のほとんどがそのことを他者に説明しきれない。
それは理解されるかどうかの不安があるのかもしれないし、適切な言葉がそこに生まれないかもしれない。

何故なんだろう?

しかし、私はこのブログの中で以前に言ったことがある。
武術の会だから武術を教える。

強くなりたくて来る人がいるから、私は強くなれることを教える。
太極拳を学びたい人がいるから、私は太極拳を教える。

私は曖昧な海なんて見たことがない。

海は海。
空は空。
                  
                 くも



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試合そして私の責任

私が試合に出るわけではない。
しかし、いつも試合は私に重い責任を押しつけてくる。
私は次に向けてその責任を素直に受けなければならない。

私は試合が嫌いだ。
あの始まるまでの数週間の緊張は休まることがない。
あの試合中のどんよりした空気は身体に合わない。
あの試合を終えた後の疲労感はこの歳には応える。

嫌いな理由が今回優勢勝ちを収めた。
好きな理由は今回は書かない。

だけど私はそれを止めることは出来ない。
私にはこの空気に打ち勝たないといけない目的がある。

楽しいことは他にある。
釣りをしたり、散歩をしたり、ごろんとしたり。

試合は私にそう言う楽しみ方を与えない。
私が楽しむには、試合に勝つこと以外ないのだろう。

そう、勝てば全てが逆転する。
試合とはそういうものだ。

負けることは自分をあきらめることになる。
勝たなければ、私はこの責任を果たせなかったことになる。
それはたぶん悔いが残る。

ふと思い出した。
私の世代のほんの少し前の時代、若者は戦っていた。
大学の前を通るといつも我々は戦うぞ!と言っていた。
我々は勝利するぞ!と言っていた。

あの当時、彼等は何と戦っていたのだろう?
そして、その彼等は今何と戦っているのだろう?

私にとって戦いは楽しみと言えるものではない。
私にとっての戦いは責任を前提にしているように感じる。

責任を果たしたい。
誰に何の責任なのか。

戦いを止める時、私の中の少年も青年も消えていくのだろう。

今感じることがある。
私にとっての責任とは私の歴史そのもののような気がする。

結局責任とは自分に課せられたものでしかない。
だからそこから逃げれるものではないのだろう。

私は私のために次にまた歩こ。


[周流では京都市の右京区太秦にて太極拳、中国武術、気功、推手、武器術として杖術や短棒、その他、柔術、格闘技、スパーリングなどの武術の練習を行っています。](太極拳)(サイトマップ)(格闘技・スパーリング)(サイトマップ)(周流ホームページ



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新しいホームページ

周流のホームページが新しくなろうとしています。
そして太極拳のページは会員の人のご苦労もあり出来ました。
非常に分かりやすいものになりました。

今まで、周流のページは大変分かりにくいという評判でした。
会で何をしているのか見えにくいというのもありました。

会では太極拳をして、体操をして、武術・格闘技、柔術や杖もしています。

それらはみんなひとつのものとして私は考えていました。
形がそれぞれ違うだけで、同じことをしているのだと考えていました。
そして、ひとつのことの本質を語ればそれはまた何にでも通ずるものだと思っていました。

それが非常に分かりにくいものでもあり、周流のあり方だったようにも思います。

でも、分かりにくいのですね。
それでは。

今回のホームページはひとつずつ丁寧に語っています。
太極拳はこのようなものをしています。
一緒にしましょうと語っています。

私はこれでよかったと思いました。

人に何を見せれるのか?
私がその本質を見せなければとするなら、それはどれだけ見る人にとって迷惑な話だったのだろう、と思うのです。

本質はこうだ!どうだ!等というものが何になるのでしょう。

語って見せられるものは何なんでしょう?

何も語らないもの、見るものにそれを委ねてしまうこと。
そういう文化の中で育ち、そういう文化をよしとしてきて、それを誇りに思う歳になって、ああ、自己主張とあがきと間違えてはいけない。

と同時に私は大変わがままになってやろうと思ったりもします。
充分わがままか!

大変わがままに、そして、委ねる。

太極拳はこのようなことをしています。
そして、一緒にしましょう。


交流武術研究会 周流は京都市は太秦にて、太極拳を中心に健康体操・武術・護身術を練習する会です。サイトマップはこちらです。



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戦わなかった

時には少し休めてもいいのではないかと昨日ふと思った。
どういう訳か、身体の力が抜け落ちていき手に力が入らない。
体の芯も冷えているのを感じる。
あれ!
と思い、久々に早く寝ることにした。

時間を見るとまだ1時を過ぎたばかりだ。
こんなに早くお布団の中に入るのは・・・そうか正月もそうだったな。
正月ぶりかと思いながら、目が覚めたのは朝の7時。
そう、目が覚める時に瞼の中が何だか薄明るかった。

でも、でももし今が3時頃だったとしたら・・・そういう不安の中で目を開けた。
本当に久しぶりの快眠。
身体もあったかだし、手にも力が入っている。
すばらしい、と思い、お茶を飲みながら世界地図を見る。

たまにはいいというのを感じた。
そう、気を緩められる時と気を緩めてはいけない時があるというのを感じる。
昨日の夜は身体の方から気を緩めるように要求してきた。
そこに身体を休める場所があった。

そういえば、この2・3年寒いところに居るにもかかわらず、風邪をひくことがめっきり少なくなった。
時折その兆しを感じても、負けるかと思い、風邪とも格闘する。
最近はよく勝てる。

昨日は少し違っていた気がした。
戦わなかった。
明日になればいい、とそれだけ思い、温かな布団に入った。

ただ戦わなくても私の身を守ってくれたのは何だったんだろう?
確かに、その時は何だかこころの緊張も争うものも何もなくなっていた気がする。

戦わなくても私の身が守られていたこと。
それは何だかとても新鮮な感覚だ。

さて、今日も出かけよう。



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