交流武術研究会 周流

周流についての情報は、交流武術研究会 周流 サイト http://shuryu.info/の「周流とは」「教室案内」をご覧頂ければと思います。それでは。 管理人 おのえ
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瞬時の認識

先日、防具やミットについてちょっと会員の人と話をしました。
ある人は防具は打った時とか受けた時に、感覚のいいものがいいと言います。
全くその通りかもしれません。

「ゼロ点」にも書いたように相手との感覚を知るためには、その目的に応じた防具やミットを使用した方がいいに決まっています。

でも私はそれも多くのことのひとつでしかなく、それだけをこだわりたくなかったのです。
なぜなら、感覚だけを気にしていたのでは、とても神経質になってしまうからです。

武術でいえば、ひとつの方向性のものとしか対応できなくなってしまうからです。
それは、私から見えればマニアの世界であって、現実的な世界からは遊離していくようにも感じます。

私が思う武術で必要になってくる感覚は、相手を知るということです。
そして、その相手の感覚を知るためには、常に自分をクリアーな状態にしておかなければならないし、どんな感覚の相手に対してでも瞬時にそれを受け入れ、それに対応できる対処法を感じ取らなければならないのです。

前回の「ゼロ点」の補足というわけではないのですが、武術の練習はあるパターンに馴染むだけでなく、どんなパターンも持たなくなることだと思うのです。
いきなり、こんなことを言っても分かりにく話かもしれません。
それにはパターン練習の必要性から書く方がいいのかもしれません。
話は前後するのかもしれませんが、またその機会にそれは書きます。

今言いたいのは、武術は生身の戦いの場を想定しています。
そこには生きていくために必要なあらゆることが含まれます。
それ故にそれを感じ取れる能力と、瞬時に対応できる能力を必要とします。

周流でしている練習としては推手がそれに当てはまります。
しかし、推手もまたパターン化された練習には違いありません。

防具のことからこんな話になりましたが、武術で大切なことはものに馴染むことではなく、ものを認識し、対応していく能力のような気がします。
身を守る | permalink | comments(2) | trackbacks(1)

この記事に対するコメント

こんにちは。
共通するものが何かあるような気がして、
トラックバックさせていただきました。
読んでいただけたら、嬉しいです。
nonohana | 2006/02/13 6:48 PM
くもさん、いつもお世話になっております。
正体は、バレバレのようですが、ねこと申します。

私は「身を守る」ことを目的に武術を習い始めました。
周流の武術は、力に頼らなくても、女性でも男性を制することができるものだと思います。
ただし、それは身について初めて発揮されるもので、いくつかの護身の型を何度か練習しただけでは、身につくものではありません。
自由な推手をしていて、今まで長年練習してきた型など、ほとんど相手には通用しないのです。
だからといって、今までしてきた型練習は無駄なのかというと、そうでもないと思います。
今まで習ったことは、身体が覚えているけれども、うまく表面に出てこないという感じです。
最近始まった自由な杖練習も同じ感じです。
型のない自由練習が始まり、型練習の大切さを身に染みて感じました。
最近、新しい練習がいろいろ始まり、型練習の時間が少なくなったのは残念ですが、新しい練習はまた感覚を磨いたり、今までばらばらだったものを、ひとつに繋ぐ練習なのかなと思いながら練習しています。
ちなみに、私は目を閉じて歩く練習が、一番怖いです。

太極拳を習い始めて、周流の教室に通い始めて、私の中に起きた変化も書き込みたかったのですが、また次回にします。
ねこ | 2006/02/15 8:11 PM
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