交流武術研究会 周流

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護身術

一般に行われる護身術講習会などを見て思うことが多いのですが、それは交通安全の講習会や緊急救命の講習会と並ぶ効果を狙っているものなのか?
果たしてそれを受けたことのない私には分かりません。

前にも書いた記憶があるようですが、武術というものと護身術というものにはその持つイメージに多少の違いを感じてしまいます。
今日はその辺のところを曖昧にしながらも、とにかく他者から暴力的危害を加えられないようにするには何をすればいいのかと言うところを書きたいと思います。

私は幼い頃から体格も恵まれなかったし大人しい性格で、しかも負けん気だけは強くて、おまけに周りの環境が暴力に満ちていましたから、精神的にも肉体的にも自分の身を守ることが日常だったように思います。

身を守るといっても、時には抗しがたい圧力に対しては、出来るだけ危害を加えられないようにその身を相手に委ねる形でじっと我慢を続けていたようにも思います。
しかし、それは精神的には肉体の痛み以上に大きな苦しみを感じていたのかもしれません。

また子ども同士の世界では、とにかく喧嘩をして相手に負けると言うことが相手に従うと言うことに繋がっていきますから、負けるわけにはいかないのです。
ただ相手を先に傷つけることが出来ない私は、幼い時にはやられてはやり返すの繰り返しで、相手が泣いてしまえば何故かこちらも泣いていた気がします。

でも実際、暴力や威圧に対して本気で取り組まなければと思うようになったのは、この社会で一人の人として生きていかなければいけないと自覚した時からでした。

決して言われもないことで、この肉体や心を傷つけられることもない、そんな自分を作り上げていかなければと思った時からでした。

今、学校や職場あるいは家庭、いや道ばたですらいろんな暴力が転がっています。
昔からそうですが、暴力の多くは集団的にしろ個人的にしろ、力のあるものが力のないものに一方的に加えていくことにあります。

しかし、昔と今との違いは確かに感じます。
それは何だろうと思うのですが、そのことはまた考えたいと思います。

とにかく、この身や回りのものを危険に晒すわけにはいきません。
そのためには、何をするのがいいのでしょう。
やはり強さを身につけるしかないのです。

女性でもそうです。
女性だから弱いというものは何もありません。
老人でも子どもでも誰でも強く生きることは出来ます。

ただ現実にはにわかに強く生きるのは難しい気がします。
強く生きるために自分を鍛えていかなければならないし、鍛えていける人はそれだけ強くなるのです。
そして、強い人が弱い人を守ることが出来るのでしょう。

単純なことのようですが、現実にはきちんと武術をしている人と何もしない人とは、その他の条件が同じならば、危機に対応した時には全く違ってきます。

どのように違うのか、次回はそんなことを書いてみたいと思います。




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この記事に対するコメント

護身術を、単に夜道で教われたときの対処法っぽい段階から、自分自身のからだと心を守る手段の一つとして捉えることで、護身術が意味あるものになっていくのかなと思っています。

私は護身術を、自分が正直であり続けるための手だての一つと考えたいと思っています。
monobe | 2006/12/07 9:55 PM
コメント有難うございます。
歳をとっていくほどにこの体は時折不調を言い出します。
これは若いときの不調と違って、自然なことなのかなと思ったりもします。
しかし、心は若いときほど文句を言うこともなく、私の気持ちに素直に健やかになってきているのを感じます。

体はどんなにもがいても死に向かっていくのでしょうけど、心は死に向かってだんだんと輝いていきたいものです。

心を圧することなく生きていくための護身術だと私も思っています。
くも | 2006/12/12 1:16 PM
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